徳川埋蔵金の資産としての金額を計算しました

徳川埋蔵金は歴史的な伝説の一つで、現在まで発掘のプロジェクトは何度も行われていますが、まだ見つかっていません。赤城山に埋められているという伝説があり、色々な研究がなされてきました。その金額は400万両くらいあるとも言われています。この数字にもある程度の根拠はあります。この徳川埋蔵金を現在の価値に直すとどれくらいになるのでしょうか。まず、1両は36.5グラムです。ですから、400万両とすると、1.46億グラムになります。現在の相場から見て、1グラムの金はだいたい5,000円くらいです。5,000円ですから、これを乗じると徳川埋蔵金の現在の価値は7,300億円となります。金額自体は大きいようにも思います。幕府のお金ですから、今で言うところの国家予算とも言えるでしょう。国家予算にしてはそれほど大きくないとも考えられます。もちろんですが、現在と同等に考えるわけにはいきませんが、金額にするとたいしたことのないイメージを受けます。でも金欠の私からしてみるとそんなにあるのなら少しだけでもお金借りたいです。

徳川埋蔵金の捜索開始からその後の発掘状況

徳川埋蔵金は、江戸時代に幕府が密かに土の中に埋めたと伝えられている金塊や貨幣のことです。その発端は、1868年に江戸城が無血開城した際、財政難だった明治政府が城内の貨幣を探したことから始まりました。金蔵を探しても空だったので、新政府軍は幕府が隠したとして、御用金探しを開始しました。その後、当時の勘定奉行だった小栗忠順が徳川埋蔵金を持っていると疑われ、小栗が金を持って逃げたと証言する者が出ました。しかし、赤城山を探しても徳川埋蔵金は見つかりませんでした。その後埋蔵金研究者は、赤城山は本当の隠し場所に気づかせないための囮だと考えました。そして真の埋蔵場所を求めて持論を展開し、日光山内や上野東照宮や世良田東照宮といった各地の東照宮が挙げられましたが、その後も見つかっていません。マスメディアも徳川埋蔵金の隠し場所を推測し、発掘調査を行っていますが、金属探知機などを使用しても埋蔵金の在り処は分かっていません。

群馬にあるといわれる徳川埋蔵金

徳川埋蔵金とは、江戸幕府が密かに地中に埋蔵したと伝えられている貴金属のことをいいます。埋蔵した時期と言われる幕末以来、多くの発掘プロジェクトが行われましたが、そのほとんどが全く成果のないまま終ってしまっています。元々は、江戸城が無血開城となったときに、財政難になっていた明治政府が幕府御用金を資金源としようとしていたが、城内に財産はなく、幕府が隠したと判断した明治政府が御用金を探すようになったことから始まります。そのころ、勘定奉行であった小栗忠順は群馬県、当時の上野国に隠遁しており財政責任者であったことから持ち逃げしたと流言が飛び、何かを運ぶのを見た、という証言者が出てきたことから徳川埋蔵金は群馬にあると信じた人々によって、赤城山の各所を発掘し始めたのです。現在でも、徳川埋蔵金を探している人々はおり、発掘が失敗に終って行く中、群馬の赤城山は囮だと考えられるようになった末、各地で埋蔵金伝説が生まれたのです。

発見されたら徳川埋蔵金は誰のものに

一時はブームになるくらい人気があったのが徳川埋蔵金です。一説には、現在の貨幣価値に換算すると4,000億円とされています。現在も、個人でこの徳川埋蔵金を探している人達はいます。しかし、仮にこの徳川埋蔵金を発見した場合は、誰のものになるかと言うと発見した人ではありません。まず、発見した場合は、警察に届ける義務があります。道で財布を拾うことと同じケースに当たります。そして、財布なら所有者はでてくる可能性はありますが、この場合は所有者が誰のものかは不明です。財布の場合と同じように所有者がでないときのはこれは発見したものになります。埋蔵金などの場合は、時間が経過で、誰のものと特定ができないからです。その土地の所有者と発見した人にその権利がでてきます。ただ、この中に小判や大判などの歴史的価値がある場合は、文化財保護法により権利は国にいきます。この場合は、国に権利がいくことで所有者と発見者には国から報奨金がでます。


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